あれから10年

もう1週間過ぎてしまいましたが
去る9月18日
母がこの世を去ってから10年が経ちました。

今年は諸事情によりできていませんでしたが
節目の祥月命日には母への思いなどを綴っていますので
このタイミングでまとめてみようかと思います。

まず2年前に当時の日記を編集したもの
http://iwassy910.com/9%e6%9c%8818%e6%97%a5%e3%80%81%e6%af%8e%e5%b9%b4%e6%83%b3%e3%81%b5%e3%81%93%e3%81%a8%e3%80%82/

3年後、5年後に綴っていた日記
http://iwassy910.com/%e3%81%82%e3%82%8c%e3%81%8b%e3%82%89%ef%bc%93%e5%b9%b4/

あれから5年
※これは2018年9月18日、某SNSにて書き記していた日記を加筆修正したものです。 5年ってすごいよね。 ありきたりな表現だけど… 生まれた赤ん坊がバリバリ幼稚園行ってるのよ? でもやっぱり 大人になって...

 

そして迎えた今年の9月18日。
私は某山口のフェスへ向かっていた。

無論日程が発表された時点で「その日か…」という念は過った。
しかし前述(?)の元職場のおばちゃんに言われた
「子供の幸せが親の幸せ」という信念に則り
行くことにした。

とても楽しかった(語彙力)

が、しかし、、
罰が当たったのか…

その日は朝から
なんだか頭がぽっぽするなぁとは思っていたが
夕方頃から本格的に熱っぽくなったと思ったら
暗くなるにつれ寒気まで感じ始め…

3日間のフェスに全日参加したので
熱中症になったに違いない、と思っていたら…

なんと、A型インフルエンザでした。。
若い子に流行っているやつ(言い方)
若い子からもらってきちゃったに違いない。。


 

そんなこんなで先週はわりとグロッキーに過ごしてしまったため
大事な節目の年に何も出来ていなかったので
今更です。許しておっかぁ。

当時の日記自体は
この時期になると毎年読み返していて
10年経った今でも当時の風景やら心情やら
ほとんど覚えていて。

当時のものにはさすがに明確に書けなかったけど…
そういえば親の死に目の時にまで
私の脳内には
あの曲が鳴っていたのだ。もはや病気だ。
https://open.spotify.com/intl-ja/track/1fd22wJF2UH38iagty22jO?si=00c74d8cc4044afa

でもある意味?
そもそも私の音楽好きは、多かれ少なかれ母の影響であることは確かだから致し方ないのである。多分。

…そんなことではなく。
今回書こうと思っていたのは
10年経って?やっと人に話せるようになった
理性を失いかけたピークの時の話。

 

当時のものにも一部書いたが。
私は母が息を引き取った時
翌日のお通夜の時まで
いまいち母がいなくなったという実感が持てず。

それを最も実感してしまったのが
その翌日。
お葬式が終わって、火葬が終わって、その帰り道だった。

母の骨壺を抱え
私は当時生活を共にしていた彼氏の運転する車の助手席に乗っていて。
後部座席には叔母がいて。

その道中になって初めて?
「本当に母がいなくなってしまった」
という実感がこみ上げてきてしまって。

涙は堪えきれてなかったが
なんだか叔母のいる前で『泣きわめく』という行為ができなくて。
あの時元彼と2人だったら絶対にワーギャー泣き叫んでいたんだろうな。

恐らくそこで私が突然泣き叫びだしたとしても
きっと2人とも驚いたりなんかしなかったろうし
なんなら慰めてくれたり、一緒に泣いてくれたりしたんだろうなと思う。

でも私はできなかった。
叔母に自分の心をさらけ出すことができなかったのだ。そんな時でも。

…という話を約半年前
とある友人に初めて話した。ところ

「その状況で泣けないって、、ほんと理性人間なんだね」
と言われてしまった。笑

 

10年前。
どう考えても今までの人生において最も辛く悲しい日々が訪れ。
あれからやはり
少々辛いことがあっても、あの時の悲しみに比べればどうってことないと感じる。
そういう意味では強くなれたんだろうか。そうなのか?

この祥月命日の日記で毎度書いていたけれども
今でも母は偶には夢の中に会いに来てくれるので
きっと私の中でまだ生きている。

30年共に生きたのだから
少なくともあと20年ぐらいは生き続けることでしょう。

あと20年。母の歳を超えてしまうな。
もっともっと、幸せに、充実した人生を生き続けなければ。

誕生日と母の命日によって
毎年そんな決意?で身が引き締まる、9月のいわっしーなのでした。
これからもよろしくどうぞ(?)

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